ようやく決まった就職先。苦労して大学に進学して、苦労して就職活動を終え、今度は就職先で新しい環境になれるまで時間がかかった。
勿論周りは知らない人だらけ。慣れ親しんだ場所から引っ越し、これから先の事なんて考える余裕もなく、『慣れろ』という一言を言われただけで過ごす毎日。自分の中を通り過ぎていくそんな空っぽな日々に疲れていた。社会人として一年が過ぎ、ようやく自分の後輩が入ってくるという時になって、ようやくこのままでいいのかな? なんて考え始めた俺。
篠宮竜太《しのみやりゅうた》23歳。何も予定の無い休日に公園で独りベンチに座り、体にまとわりついて離れない風に少しだけ身震いする。
――もうすぐ春が来るのか……。
ここ最近でようやくできた少しの余裕。その為に感じる事の出来なかった季節の移り変わり。いつの間にか通り過ぎていく暑さも寒さも、本当に何も感じる事無くただただ『生きていた』だけに過ぎないと気付いた。ひゅ~――
という冷たさの乗った風がまた拭き始めたとき。「きゃっ!!」
俺の近くにあった、もう一つのベンチの側から声が上がる。 その拍子に自然とその方向へと視線を向けると、自分と同じ歳くらいの女性が長いスカートに手を当てて風で捲れるのを防いでいた。 その風によって流れて揺れる長い黒髪。さらさらとした中でもきらりと輝いて見えた。「もう!!」
そう言いながら過ぎて行ったいたずらな風に文句を言いつつ、着ているモノを直す女性。「「あ!!」」
視線を上げた女性と、その様子を見ていた俺の視線が合わさる。瞬間に「まずい!!」と思いサッと視線を逸らす俺。一瞬しか見えなかったけど、女性は小さな卵型の顔に色白な肌で、赤い眼鏡をかけていた。女性は大きな咳払い一つして、そのまま俺の前を通り過ぎて行った。
――良かった……。何も言われなかったな。いや何かを見たわけじゃないからな。それにわざとじゃないし……。
女性が去って行く足音を聞きながら、俺は一人心の中で安堵した。
それが初めての出会い。 再びその女性と会ったのは、初めて会った時から2週間ほどが立っていた時の事。 自炊にて過ごすことの多い俺は、住んでいるところからほど近いスーパーに、休日を利用して食料品を買いだめするために出かけていた。 その帰り道、大きな買い物バッグを背負い少し休憩するために、公園へと足を運ぶ。入り口にあった自販機でお茶と缶コーヒーを買い、そのまま買い物バッグに入れて中へと歩いていく。 ――お!? もうすぐ咲きそうだな……。 お目当てのベンチに向かう途中にある桜の樹々。その樹々に今にも『出してくれ!!』と言わんばかりに膨らんでいる蕾を見て思う。木々の様子を見ながら歩いていく事数分。お目当てのベンチには既に人影が有った。
――しまった。先客がいたか……。
時折子供が遊んでいる事を見る事はあったが、あまり大人が来ているところを見かけない公園なので、自分以外の人が使用することを想定していなかった。仕方ないそのまま通り過ぎようと歩いていく。ベンチの前を通り過ぎようとした時、座っている人の様子をチラッと伺う。
――あれ? この人……どこかで……。
ベンチに座っていたのは髪の長い女性一人。その人は顔を少しだけ俯かせて本を読んでいるようだった。 「あ……」 「!?」 思わず漏れた俺の声に、ビクッと身体を揺らす女性。そしてそのまま顔を上げた。 「な、なんでしょうか……?」 「え? あ、いえ……」 俺に向かって不審者を見るような目を向けてくる。その視線にビクッとする俺。最近では女性とは仕事上の付き合いで話す事は有っても、こうして日常的な場所で話をするという事が無いため、瞬時に返事が出来ずその場で立ち尽くす。「あの? どうしたんですか? 何か御用でしょうか?」
「あ、す、すみません!! その、あなたが読んでいる本……」 「本……ですか?」 「えぇ……」 首をちょこんとかしげて俺を見る女性。「その本……俺も読んでいたものですから。その、声が出てしまいました。驚かすつもりは無かったんです。すみません」
「あぁ……この本ですか」 そう言って俺の方へほんの表紙を見せる女性。少しの沈黙が俺たちの間に訪れる。その間にも少し甘い香りを漂わせる弱い風が俺達へと流れて来た。
「あの……」
「は、はい!! すみません!! もう失礼します!!」 「え!? あ、ちょっと!!」 俺は女性から声を掛けられて、ハッとするとすぐにぺこりと頭を下げ、女性の方を見る事もなく足早にその場を歩いて去った。――やばい!! 俺間違いなくやばい奴だ!! あぶない!!
見ず知らずな女性に声を上げる俺。背中を冷たい汗が流れて行った。 そのまま自分が住むところまで速度を落とすことなく歩く。着いた時には精神的なものからくるものと、いつも運動していないのに早く歩くという行為をした反動からか、どっと疲れが押し寄せて来た。 それから何度か、公園でその女性の姿を見かけるようになるのだが、結局は遠目にその姿を確認するだけで、何かが起きるという気配すらないまま時だけが過ぎて行った。 「あの……となりに座りません?」 「え?」 俺から間抜けな声が漏れたことにクスッと笑う女性。 太陽の光で、淡い桃色に染まり始めた景色の中で、俺は再び女性の前に立ってそう声を掛けられていた。いつものように買い物へ出かけようと歩き始めた俺は、暖かくなってきた陽気に誘われる様にいつもの公園へと足を向けた。
公園の中を歩くだけでも気持ちが良いと感じる天気。既に樹々は緑の葉を生い茂らせ、色鮮やかな花を咲かせて春が来たことを喜んでいるようだった。そしてもうお気に入りの場所と言ってもいい程に使用するベンチ。そのベンチに見慣れた人の姿を確認する。
――あ……。今日もいるのか。なんか気まずいんだよな。
その姿を見ただけで背中が丸くなる気がする。足早にその場を過ぎ去ろうとした時、その女性の方から声がかけられたのだ。 「え?」 「あぁごめんなさい。驚いちゃいますよね。私は|二木さくら《ふたきさくら》です」 「あ、お、俺は篠宮竜太と言います」 「そうですか。篠宮さん宜しければ少しお話しませんか?」 「え? でも……」 「お忙しかったですか?」 「いえ、買い物に行こうとしていただけで、時間は……ありますけど……」 「それじゃぁ」 スッと自分が座っていた場所からちょっと横にずれる二木さん。「…………」
「? お隣りへどうぞ」 「し、失礼します……」 クスッと俺に笑いかける二木さん。緊張している俺を見られたことで、尚更恥ずかしさが込み上げる。腰を下ろしたところを確認すると、二木さんはおもむろに自分の隣に置いてあったバッグからスッと一冊の本を取り出した。
「あ、その本……」
「この本面白いですよね」 取り出したのは、何時か俺が初めて声を掛けたときに二木さんが読んでいた本だった。それはシリーズものになっているモノの中でも最新刊で、俺もそのシリーズが出るたびに入手しているのですぐにわかる。「ファンなんですか?」
「はい。この本の……というわけではなく、この作者様のファンなんです。なので書かれたものは読むようにしています」 「そうなんですね。実は俺もそうなんです」 「あら……。同じ方のファンに出会うなんて嬉しいです」 「あははは。そうですね。俺も嬉しいです」 そんな他愛もない会話が続く。しかし俺は二木さんと過ごす、時が止まっているようなゆったりとした時間が、とても心地よいものに感じていた。この日を境に少しだけ――いや大きく俺の生活は変化した。
この時から僕の隣には君がいて、非日常が日常になった。どうしても自信が無くて、何も目的もなくセピア色の中で過ごしていたような俺に、しっかりと色が付いたような感覚。そんな中でも俺達二人の関係は『友達』のまま。俺にはそれでも凄く楽しい時間だった。
でも恋に落ちるのは簡単だ。スイッチなんてないんだから――。
風によりひらりはらりと舞い散る桃色の粒。周りの景色も既に寒かったころの面影はなく、遠くでは元気な子供の遊び回る声が響き渡る。俺の思い出にはいつも彼女がいる。隣でいつもすごくいい笑顔でいてくれる。それだけで幸せだと思っていた。ただこの先『ずっと一緒にいる』という未来はまだ見えない。
その言葉を口にしてしまったら、今の世界が壊れてしまう様な気がしていたから……。
そんな関係が続いた1年後――。刻まれた記憶の中にはいつも君がいる。ケンカもしたりしたけど、なんだかんだと仲が良いまま、そんな関係を続けていた俺達。
「あなたが好きです……」
いつもの格好ではなく、初めて会った時のような春らしい色に包まれた服装で俺にそう告白してきたさくら。「え? きみは……」
「え? あぁ……これ?」 そう言いながら、さくらはクイッと赤い眼鏡を指先でちょっとだけ押し上げる。「いつもはコンタクトなんだけどね。今日は初めて会った時と同じような恰好にして来たんだ」
――そうか……。あの時のあの女性は……。 「ねぇ? 返事は?」 「ん? もちろん――」キャッ!! いう声を出すさくらを抱きしめて引き寄せ、そのまま桜色した唇へキスをする。それが俺の返事。
木々を縫い差し込む日差し。その光を受けて淡く桃色の光で俺たちを祝福してくれているような風景だった。 自分の心に刻まれた景色の中にはずっと君がいる。幾年先でも今日の笑顔のままの君がいる。初めて出会った公園の桜の下で――。
「なぁ柏崎……」「なぁに?」 振り向いた私の姿に、池谷が少しだけ顔を赤らめスッと視線を外す。 鈍い池谷を強引にデートへと誘った私は、そのデートの最中である。 日常で見ている学校の制服と違い、池谷は黒ジーンズに青いニットのセーターを併せ、ジャケットをその上に羽織るという、いつも通りと言わんばかりの格好。 私は初デートだからと、この時の為に買った薄いピンク色のワンピースを着て、その上にふわっとした印象を与えるようにと白いセーターを着ている。足もとも歩き疲れない様にと悩んでショートブーツ。 自分なりに目一杯おしゃれしてきたつもり。――ちっともこっちを見てくれない……。 私の方へと視線が向きそうになると、無理にフイっと顔を背けてしまう池谷。どこか変なのかなと不安になってしまう。「そろそろ休憩しないか?」「うん……そうだね。そうしよっか!!」 池谷の好みもまだ良く分からない私は、初デート場所として近くにあるショッピングモールへと池谷を連れて来た。 お店を見て回るうちに池谷の好みも聞きだせるし、一石二鳥かな? という考えから選んだのだけれど、私の目論見は直ぐに外れる。「俺……目当てのモノを買う為に来る位で、買ったらすぐ帰るから、あんまり興味ないんだよな。服とかもそうかな」「はぁ!?」 などという会話をお店の立ち並ぶ通路の真中で、池谷に「ぶっちゃけさ」と言われてしまったのだ。 とはいえ、せっかく来たのだからと、池谷を引きずる様にしながら二人で見て回る。私は気になってしまった物があると、そこで結構時間をかけてしまうので、池谷は飽きてしまったのかもしれない。「ちょっとトイレ行ってくるよ」「え? あ、うん……」 モール内のカフェに入り、空いている席に私が荷物を置いた瞬間に、池谷はそう言って私から離れていった。
「ねぇ池谷……」「なんだよ?」 わたしの斜め後ろの席で、私の方へと顔を向けながらぶっきらぼうな返事をする池谷。「私、次の日曜に暇なんだけど?」「あん? 出掛ければいいだろう? 柏崎は友達多いんだから……」「はぁ……」 池谷からの返事に大きなため息を吐く。――いや、分かってたけど……ここまで鈍いとは……。 私は心の中でまた一つ大きなため息をついた。 池谷を他の女子達がどう思っているのか知らないけど、私は昔から良い奴だという事を知っている。とはいえ幼馴染という訳でもなく、住んでいる場所もちょっと離れているので、学校で顔を合わせるくらいの関係。一緒のクラスになった事もない。だから高校で池谷と同じクラスになれた事で、自分の部屋の中で大声で喜びの絶叫をしまったのは内緒だ。――しょうがないじゃない……。好きなんだもん……。 結局は、あの後も進展のないまま一日が終わってすでに放課後。独りでとぼとぼと帰り道を歩いていると、少し離れた前を池谷と、私の席の隣で唯一池谷と仲がいい友永《ともなが》が歩いていた。静かにその後を追う私。 家路の途中にあるコンビニに二人で入って行くので、そのまま後を追い、隙をついて友永に語り掛ける。「友永……」「うお!! なんだ柏崎かよ……」「何してるの?」「飲み物買いに寄ったんだけど……?」 友永がそう言いながら、何やらニヤッと笑う。「ははぁ~ん?」「なによ?」「たぶん漫画読んでるぞアイツ」「…………」 無言で友永を睨む。「じゃぁ後は宜しくな!! 池
目の前の席にて、俺の方へ椅子の背もたれに両腕を乗せながら、微笑む女の子にジッと見つめられている俺、|池谷晴弘《いけたにはるひろ》は現在戸惑っている。 外吹く風も枯葉を巻き込み吹きすさぶ季節の、午前中のとある休み時間。授業の繋ぎ時間だったはずなのだが、とある陽キャ達によりその状況は一変する。「おい、今日の獅子座生まれと魚座の人と進展ありって書いてあるぞ。お前魚座だったよな?」「いや、惜しいけど俺みずがめ座」 男なのに星占いを気にするなよなどと言葉で盛り上がりを見せる、陽キャクラスメイトを遠巻きに眺めていた俺。――そんなわけねぇだろ……。 心の中で悪態をついていた。心の傷はそう簡単にうめられるもんじゃないんだぞ!! などと思ってしまう俺。奴らは知らないとは思うが、実のところ俺は獅子座生まれなのだ。「おい!! 誰かクラスの中で獅子座生まれいないか?」 盛り上がっている生徒の中の一人が声を上げた。 「俺がそうだけど!!」「わたしも!!」 男女問わず声が上がるも、勿論俺が声を上げる事は無い。「池谷」「ん?」 俺の前に座っていた唯一の友達が、俺の方へ顔を向けつつ話しかけて来た。「お前、獅子座生まれだったよな……」「そうだけど……なんだよ?」「いや……」 チラッと俺から視線を外すと、ぼそっと言い捨てて前方へと向きを戻した。――なんだコイツ。 そんな事が有ったその日の昼休み。 件の友達が、その隣に座っている女子生徒に話しかけていた。チラッと確認する俺。時折その友達が俺の方をチラッと見るので気にはなったが聞く事はしない。 そして頷きあうと、俺の肩をポンと一叩きして教室から出て行った。――なんだ? 去って行く後ろ姿を見ていると、近くから声が掛けられる
俺、池谷晴弘《いけたにはるひろ》は現在とても集中している。 我が高校では、秋のイベント体育祭の真っ只中である。行事の中では修学旅行などと並び大行事なわけだが、ウチの高校ではこの体育祭が一番盛り上がるといっても過言ではない。 それはナゼか――。 種目の一つに借り物競走というモノがある。普通の借り物競走は、色々なものを会場内から借りてきて順位を争うわけだが、ウチの学校でも普通の借り物競走もある。しかし、そのレースの中で2つだけ特殊なものが入っている。 それが『告白レース』と名付けられているモノ。 簡単だ。男女1レースずつ。好きな人が居る人しか出場する事ができない。 そしてその出場者が好きな人を連れてゴール出来たら、告白成功で順位がきまる。中には撃沈する人もいるが、その場合は棄権扱い。もちろん順位はない。 そんなわけで、現在はその女子レースが行われる準備段階に入っているのだが、どうして俺がここまでレース前の段階で集中している理由。 もうお分かりの通り好きな子が出る予定だから。 それがクラスメイトで、周りからは地味子といわれている丸眼鏡が良く似合う、黒髪ロングをポニテにして存在なさげにしている|小向比奈《こむかいひな》さん。 いつもは髪をバサッと下ろしているので、あまり知られてないが、実は凄くかわいい子なのだ。――まさか彼女が出るなんて……。 高校生ともなれば好きな人が居ても普通の事。でも小向さんが男子と話をする事はあまりない。というよりも、地味子といわれるくらいだから、あまり話をしようと近寄る生徒も男女問わず少ないのだ。「俺ってことは……ないよなぁ……」 本音が零れる。 周りは雰囲気に熱気を帯びているので、誰も気づいてはいない。それはクラスのマドンナが出場しているという事もあるんだけど。 そうこう考えている内に、もう彼女の出る順番が回ってきた。
自慢するわけじゃないというか、恥ずかしい話だけど高校二年生になった今に至っても、彼女が出来るどころか、クラスの女子達との会話でさえままならないというのが、|常盤正英《ときわまさひで》という男子高校生である俺の客観的立場から見た評価だろう。 事実、朝登校してから女子と会話することなく一日が終わるというのは毎日恒例だし、何か用事があって話さなきゃいけないときも、余計な事など言える訳もなく、本当に用事をこなすだけの会話しかできない。 そんな俺だから、自分に『彼女が出来たらしい』という噂が上がっている事にかなり驚いたのは言うまでもない。事の起こりは、何も起きない一日を十分に謳歌していた平日の昼休み時間だった。「おい正英!!」「ん?」 声を掛けてきたのは一年の時からのクラスメイトで、俺は一方的に友達だと思っている|吉田疾風《よしだはやて》。クラスの女子達からも、甘いマスクにふわっとした血筋譲りの茶色い髪を無造作に切りそろえただけなはずなのに、モデルをしていてもおかしくないと評価されている、所謂《いわゆる》一軍に所属する男子だ。ただ本人はそんな外野の声を気にした様子はなく、陰でも陽でも分け隔てなく接して誰とでも仲が良い良い奴なのだ。 ただなんでも、自分の中で流れる欧州血筋の先祖返りの影響で、天パぎみの髪の毛が悩みの種だと、ちょっと影を落としながら話した時の顔は怖かったのを今でも忘れない。「おまえようやく彼女出来たんだって!?」「はぁ!? なに? 嫌味か?」 昼休みの休憩時間に、購買人気ナンバーワンの焼きソバパンと第二位のナポリタンパンをゲットしてほくほくした心でかぶりついていた俺の前に、ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、前の席の椅子をガタガタと大きな音を立てながら引き、そこに勢いよく俺向きになりながら座る疾風。「か・の・じょ!! できたんだろ? 隠さなくてもいいだろ?」「いやいやいや!! 隠すも何も……出来てないし……」「はぁ
その女の子《ひと》は放課後、皆が帰る背中を見ながらいつも一人っきりで誰かを待っていたんだ――。 突然だけど、学園のマドンナと呼ばれる存在が自分たちの通う学校に居るだろうか? 俺、日立春花《ひたちはるか》が通っている双葉学園高等部には、誰もがその存在を知っている女の子が存在する。 学校自体はそんなに特徴のある学校じゃない。進学校として名が知られているわけじゃないから生徒の学力もそこそこだし、スポーツに関しても何年か前に野球部が県のベスト16に残ったというのが唯一の実績。つまりあまり力を入れているわけじゃないって事。 ただそんな我が学園にも有名な事はある。それがこの学園のマドンナの存在だ。 名前は確か……七瀬茜《ななせあかね》さんだったかな? 普通といっても差支えの無い学園内でも学年ではいつも成績上位に入り、運動をさせればトップクラス。そして何よりもどこぞのアイドルグループにいても遜色のない程の容姿端麗らしい。それでいて誰とでも分け隔てなく接してくれるという事で、自分の学校の中だけじゃなく他校からもその存在をわざわざ見に来る人が居るほど、その子の事は有名なのだ。 どうしてらしいなんて言うのかというと、勿論平凡な学校の平凡な生徒の一人であり、あまり目立つことの好きじゃない俺には、その存在自体と全く関わり合いが無いから。 だからその子の事は、噂は耳にする事が有る。あるけど実際に話したことが無いからどんな子なのか分からない。 もちろん偶然にも同じ年に入学したのだから学校内でも見かける事はある。その程度の間柄ともいえる。こちらは向こうの事を知っていても、向こうは俺の事など存在すらも知らないだろう。 そういう関係――なんて事も言っていいのか分からないけど――が既に2年過ぎた今でも続いている。――住んでいる世界が違うとはこういう事だろうな。 なんてことを思いつつ、今日も仲良くなったクラスメイト数人と放課後になって遊びに行くため、一緒に昇降口へと降りていく。「おい……